蒼き清浄の地とはどこか - 劇場版「風の谷のナウシカ」考察
飛行機が大好きで、テトのぬいぐるみがお気に入りの2歳児が何度も見ている映画、「風の谷のナウシカ(1984)」における描写について、私なりの解釈をまとめました。
- 1. はじめに
- 2. 背景の整理
- 3. エンディングの描写の振り返り
- 4. ナウシカの研究成果
- 5. 「蒼き清浄の地」とはどこか
- 6. [補足1]ナウシカ・レクイエムを歌っていたのは誰?
- 7. [補足2]ナウシカの「不思議な力」はテレパシー?
- 8. [補足3]ペジテ兵士とのやり取りの謎
- 9. [補足4] 王蟲の群れの先頭に降り立った理由
- 10. おわりに - ストーリーの図解
※注意※
- 漫画版と劇場版アニメは展開が異なっていることは知っています。
- 漫画版や絵コンテはある程度参考にしますが、あくまで「アニメ版における答えはなにか」について考察をした記事です。
- 本編の時間は、北米版Blu-ray Discでの時間を参考にして記載しています。
- 私自身は、ナウシカの漫画版とアニメ版の関係は、鋼の錬金術師における原作と「シャンバラを征く者」の関係性に近いと考えています。
- 劇中の画像は全て下記から引用しています。
1. はじめに
旅の剣客ユパが、族長ジルのところへ来て旅の話をする最中*1、大婆様とナウシカが古い言い伝えについて語ります。
「その者青き衣をまといて金色の野に降り立つべし。失われし大地との絆を結び、ついに人々を蒼き清浄の地へ導かん」
大婆様はラストシーンの王蟲の触手の平原を歩くナウシカの様子を子どもたちから聞くと、この言い伝えを思い出し歓喜します*2。
「古き言い伝えはまことであった......!」
さて、これによって古い言い伝えのうち「青き衣をまといて金色の野に降り立つ」人はナウシカであるとわかります。では、「失われし大地との絆を結び、ついに人々を青き清浄の地へ導かん」については、作中どこまで描かれているでしょうか。今回はこれについて考えてみたいと思います。
「失われし大地との絆を結び」のうち、「絆」については、王蟲との絆が結ばれた、と解釈することもできるかもしれません。実際、あの触手は心を通わせると出てくるものであるらしいと、大婆様のセリフからもわかります*3。
「なんという労りと友愛じゃ......王蟲が心を開いておる......!」
よって、これは「絆」と言えるでしょう。「失われし大地」については、腐海に飲み込まれていった土地のことを指すのかも知れません。
では、「蒼き清浄の地」とはどこのことを指すのでしょうか?
2. 背景の整理
まず、作中でなぜ風の谷があんなにめちゃくちゃになったのかについて、キーワードごとに整理します。
[腐海の森]
まず、プロローグの文章*4を下記に記載します。
巨大産業文明が崩壊してから1000年。錆とセラミック片におおわれた荒れた大地に、くさった海...腐海(ふかい)と呼ばれる有毒の瘴気を発する菌類の森が広がり、衰退した人間の生存をおびやかしていた。
また、作中に語られていた要素なども含めて、腐海についての情報をまとめると、
「きれい......マスクをしなければ、5分で肺が腐ってしまう死の森なのに*5」
- 腐海の範囲は広がる一方のため、人間の居住区域がどんどん狭まっている(ジルとの会話でも「南でまた2つの国が腐海に飲まれてしまった」とユパが語っている*6)。
- 生き残っている人類は、なんとかして腐海の範囲を減らしたいと考えている。
大婆様「腐海に手を出してはならぬ。腐海が生まれてより1000年。幾度も人は腐海を焼こうと試みてきた。そのたびに王蟲の群れが怒りに狂い、地を埋め尽くす大波となって押し寄せてきた。国を滅ぼし、街を飲み込み、自らの命が飢餓で果てるまで王蟲は走り続けた。やがて王蟲の骸を苗床にして胞子が大地に根を張り、膨大な土地が腐海に没したのじゃ。腐海に手を出してはならぬ。」
- 腐海の近くで生活する者は、いずれ「空が飛べなく」なったり、手が石のように固くなったりする=「腐海のほとりに生きる者の定め」。
- 腐海の瘴気は、マスクをすればある程度肺を守ることはできる。粘膜(眼球結膜など)は腐海の中で露出していても大丈夫らしい。
※腐海の中で粘膜露出をしても平気な理由については、漫画版ではアニメ版と異なる結論として、「清浄すぎる中では現生人類ですら生き残ることができない」と回答しています。
※アニメ版において、粘膜露出をしても平気な理由については細かくは語られていないと考えます。
アニメ版ナウシカにおいて、登場人物たちはそれぞれアプローチは異なれど、同じ疑問を抱いています。
ユパ「私はただ、腐海の謎を解きたいと願っているだけだよ。我々人間は、このまま腐海に飲まれて滅びるよう定められた種族なのか。それを見極めたいのだ」*9
アスベル「だとしたら、僕らは滅びるしかなさそうだ。何千年かかるかわからないのに、瘴気や虫に怯えて生きるのは無理だよ。せめて、腐海をこれ以上広げない方法が必要なんだ」*10
[巨神兵]
- 旧世界の技術で作られた巨大兵器。1000年前の「火の七日間」で使用され、世界を焼き尽くした。
- 「奴には火も水も効かぬ。」=燃やしても酸の湖に沈めても死なない。
[ペジテ]
- 工業都市。アスベルやラステルの故郷。
- 過去の時代の遺産を発掘している最中に、「巨神兵」を発見する。
- ペジテは、腐海の森を巨神兵の力で焼き払うことで、人の生きる場所を増やそうと考えている。
- トルメキア軍に侵攻された際、人質としてラステルと巨神兵を奪われてしまった。
- トルメキアに侵攻されたため、王蟲を使って町ごと襲わせて、トルメキア軍を全滅させた。しかしその際にセンタードームも王蟲に破壊されてしまった*12。
- 生き残ったペジテの国民が乗った船にトルメキア兵が攻めてきた際、破城槌でドアが破られたら自爆して対抗しようとしていた*13。
トルメキア軍「残るはここだけだ」
アスベル「ドアが、砕けるぞ!」
ペジテの長「いつでも来るがいい。ペジテの誇りを思い知らせてやる!」
(自分の国を蟲に襲わせたり、敵を巻き込んで船ごと自爆しようとするなど、ペジテの民は基本的に「自爆特攻の民」なのかもしれない)
[トルメキア]
- はるか西方の強豪な軍事国家。クシャナやクロトワの故郷。
- ペジテが「巨神兵を発掘した」と聞き、「他国が強大な力を得る」ことを恐れた。そのためペジテに進軍をした。
- ペジテから移動する最中、巨神兵を載せた貨物船が蟲に襲われ進路がとれなくなり、風の谷に墜落。
- 巨神兵が運べないため、辺境の国々をまとめて連合国とし、巨神兵の力を以て腐海を焼き払うことを企てた。
クシャナ「なかなか良い谷ではないか」
クロトワ「私は反対です。本国では一刻も早く巨神兵を運べと命令しています」
クシャナ「命令は実行不能だ。大型船すらあいつの重さに耐えきれず墜落してしまった。」
クロトワ「しかし、まさか本心でこの地に国家を建設するなどと――」
クシャナ「だとしたらどうなのだ?おまえはあのバケモノを本国のバカどものおもちゃにしろと言うのか?」
クロトワ「それはまあ.....そうですがね。私は、いち軍人にすぎません。そのような判断は分を越えます」
クシャナ「わからぬか、もはや後戻りはできないのだ。巨大な力を他国がもつ恐怖故に、私はペジテ攻略を命じられた。奴の実在が知られた以上、列国は次々とこの地に大軍を送り込むだろう。お前たちに残された道は一つしか無い。巨神兵を復活させ、列強の干渉を排し奴とともに生きることだ」*15
[風の谷]
- ナウシカ、ジル、ミトらの故郷。
- 海のすぐ傍、渓谷に挟まれた場所にあり、堰で隔たれている。海からの風が吹くので、腐海の毒が届きにくい。
- それでもなお、「腐海のほとりに生きるものの定め」である疾患が存在する。
城おじ「この手を見てくだされ。ジル様とおなじ病じゃ。あと半年もすれば、石とおなじになっちまう。じゃが、わしらの姫様はこの手を好きだと言うてくれる。働き者のきれいな手だと言うてくれましたわい。」*16
クシャナ「腐海の毒に侵されながら、それでも腐海と共に生きるというのか」
城おじ「あんたは火を使う。そりゃあわしらもちょびっとは使うがの。多すぎる火は何も生みやせん。火は森を一日で灰にする。水と風は100年かけて森を育てる。わしらは水と風のほうがええ」
- 渓谷を吹き抜ける風の力を使って水を汲み上げ、その水を使って生活している。
- 城壁の内側では(少なくともトリウマが飲める程度の水の)川が流れ、マスクを外して生活ができる。ブドウ*17やチコの実といった植物の栽培も可能。
- ペジテから巨神兵を奪ったトルメキアの貨物船が風の谷に墜落したことで、物語が始まる。
巨神兵をめぐる戦い
映画のストーリーの本筋は、この「巨神兵の奪い合い」というところを軸にして進んでいきます。巨神兵を他国に持ってほしくないトルメキア、巨神兵があれば人の居住可能な地域を広げられると信じているペジテ、「巨神兵なんか掘り起こすからいけないのよ!」とキレてるナウシカ。この3つの勢力が揉めている間に、ペジテが誘導した王蟲の群れが風の谷へと襲ってきたため、巨神兵が早めに起動させられます。
巨神兵を滅ぼす手段については当初この三国ともに考慮していなかったのかもしれませんが、「思ったよりも早く起動することになった」ことにより、火でも酸の湖でも破壊できないはずの巨神兵は、あっけなく崩壊してしまいます*18。
腐海の森を焼き尽くすどころか、王蟲の群れすら腐った巨神兵では止めることはできませんでした。ペジテの人々やクシャナの当初の目論見はこれで外れてしまったと言えます。
原作ではこの巨神兵はしっかり元気に育ってママを慕って大活躍するわけですが、2時間の映画の尺に納めるには、このほうがストーリーは丸く収まります。なぜなら、トルメキアとペジテが争っていた理由(=他国が強大な力を持つこと)自体が無くなったのですから。
しかしながら、そもそもこの争いが生まれた本来のきっかけは、「腐海が広がり続け、人の暮らす場所が狭まっていること」が始まりです。腐海が広がる一方で、人々が争いをやめないことをユパは憂えていました*19。腐海が広がり続けるからこそ、巨神兵を使ってでも焼こう、という話になり、ペジテとトルメキアとの争いが始まったと言えます。
3. エンディングの描写の振り返り
さて、巨神兵が崩壊し、そしてナウシカが文字通り「身を挺して」王蟲の群れの暴走を止め、風の谷を救ったあと。ナウシカこそが「青き衣をまといて金色の野に降り立つ」人であると示されたあとのエンディングの描写を再確認します。
エンディングのシーン*20では、以下のように描写が切り替わっていきます。
- 帰っていく王蟲の群れ
- 巨神兵の骸のそばで、クシャナを説得するナウシカ
- トルメキアの船が風の谷から飛び立っていく
- トルメキアの船に乗り込むクシャナ
- トルメキアの船が帰るのを見送るナウシカやアスベルたち
- 風の谷の城おじたちの宴会
- アスベル含むペジテの人々と共に新しい風車を組み立て、地下から水を汲み上げるナウシカ
- 木々の焼け跡が残る森に、新しい苗を植えているシーン
- 王蟲の抜け殻を拾いに行った谷の人々
- 子どもたちへのメーヴェの授業と、そこから見える海辺の景色
- トリウマに乗っていくアスベルとユパを、明るい顔で見送るナウシカ
- 腐海の奥へと探索に行くアスベルとユパ
- 腐海の底に落ちたナウシカのゴーグルとそこから芽生える葉っぱ
これらのシーンは、特に深く考えずに見ていると、
「トルメキア帰るんだー、巨神兵無くなったもんね」
「戦争が終わってよかったね」
「トルメキアが壊しちゃった風車直したんだね」
「森が胞子にやられて燃やしちゃったから、植え直さないといけないもんね」
「そうだった王蟲の抜け殻取りに行くんだった」
「メーヴェ教室いいなあ」
「あの二人腐海に行くんだ」
「.....葉っぱ?」
となって終わってしまいます。というか、以前の私がそうでした。最後の葉っぱだけが理解できなかったのです。
ちなみに、あの葉っぱのシーンは原作には描かれていません。となれば、アニメ版のエンディングとして重要なアイコンなのでしょうが、当初の私は理解できていませんでした。
ここからは、このエンディングの描写を読み解きながら、ナウシカの行動の意味を考えていきたいと思います。
4. ナウシカの研究成果
「父やみんなの病気を治したい」という動機から、ナウシカが地下室で行っていた栽培研究は、戦争に巻き込まれた旅の中でも追加の発見をしています。
(1)ナウシカの発見
谷での生活で既に判明していたこと
地下の研究室でわかっていたこと
- 大風車で地下500メルテから汲み上げた清浄な水と砂で、腐海の植物を栽培すれば、瘴気は出ない。
- 土が汚れていれば、たとえ谷の土であっても瘴気が出てしまう
ナウシカ「きれいな水と土では、腐海の木々も毒を出さないとわかったの。汚れているのは土なんです!この谷の土ですら、汚れているんです。なぜ。誰が、世界をこんなふうにしてしまったのでしょう。」*23
ここから導き出される仮説は、以下のようになります。
- おそらく汚染された土地に生えた植物もまた汚染されているため、そこに生えた胞子からは瘴気が出る。
- マスクが不要な土地ですら、そこの植物や作物も汚染されている。
腐海の底で判明したこと
- 腐海の底は、腐海の森の木々が枯れてできた地下空間
- 空気は清浄で、マスクなしでも過ごすことができる。蟲もいない。
- 水が豊富に流れており、その水は枯れた木々の中を通っている。
- 腐海の底の砂は、井戸の底の砂(=地下500メルテから汲み上げたもの)と同じ。つまり、「汚れていない」土である。
- おそらく水も清浄(ナウシカが地下室で汲み上げていた水と同じ水である場合)。
「なんて立派な木。枯れても水を通している。」
「井戸の底の砂と同じ。石なった木が、砕けて降り積もっているんだわ」*24
ここからナウシカが導き出した推論は、以下のように語られます。
アスベル「腐海の生まれたわけか。君は不思議なことを考える人だな」
ナウシカ「腐海の木々は、人間が汚したこの世界を、きれいにするために生まれてきたの。大地の毒を体にとりこんで、きれいな結晶にしてから、死んで砂になっていくんだわ。この地下の空洞は、そうしてできたの。虫たちはその森を守っている。」*25
ナウシカとしては、これまでの自分の研究と、腐海の底への落下という偶然のフィールドワークによって、自分の仮説を裏付ける証拠を目の当たりにしたのです。これを元に今後もさらに研究が続けられるとなれば、そりゃあ嬉しくて泣いてしまうのも当然でしょう。
アスベル「ナウシカ......泣いてるの?」
今まで瘴気や腐海の毒について研究を続けてきたナウシカが、腐海の底のことを知ったことは物語の根幹に関わるポイントでもあるため、今後のこの世界を大きく解決に導きます(詳細後述)。だからこそ、腐海の底のシーンでは、この作品のOP曲が流れるのだと思われます。この発見が後の世の伝説へとつながっていくのでしょう。
ナウシカは、のちにペジテに捕らえられた際にも、腐海の底で発見したことや、そこから導き出した仮説をペジテ市民に訴えています。
ナウシカ「あなたたちだって、井戸の水を飲むでしょう?その水を、誰がきれいにしていると思うの?湖も川も、人間が毒水にしてしまったのを、腐海の木々がきれいにしてくれているのよ。その森を焼こうというの?巨神兵なんか掘り起こすからいけないのよ!」
ペジテの長「ではどうすればいいのだ!このままトルメキアのいいなりになればいいのか」
ナウシカは、ここまでで得た情報を元に、以下のような仮説を立てたと考えられます。
「腐海の森は水や土を浄化するために存在している。ならば、腐海の森によって浄化された水と土を使用すれば、汚染のない栽培ができる。」
この汚染なき栽培法(仮称)仮説が、その後のエンディングの描写につながってきます。
(2)ナウシカの解決策
ここで、エンディングの描写をもう一度振り返ってみましょう。トルメキアが帰った後、ナウシカたちは「ペジテ市民と共に風車を組み立て、地下から水を汲み上げ」、「新しい苗を植えて」います。
汚染なき栽培法(仮称)仮説をもとに整理すると、この描写は以下のように考えることができます。
- 風車を組み立て、地下から水を汲み上げる→地下500メルテ以深から汲み上げた水と砂を引き上げ、汚染されていない水と土を準備している。
- 新しい苗を植える→汚染されていない清浄な水と土から栽培した苗を、汚染されていない土を満たした土壌に植え付けている。
風の谷の技術力では、「城の大風車」を使って掘り出さなければ、地下500メルテからの汚染のない水と土を掘り上げることはできませんでした。一方ペジテ市民は、旧世界の遺産(巨神兵含む)を発掘することに長けた人々です。掘削技術については風の谷の人々よりも優れていると予想されます。
そこで彼らが協力し、風の谷に汚染のない水と土を掘り出しやすい風車を作ったと考えられます。この風車の形態は、風の谷に置かれているタイプ(レンガ式の大型なもの)の風車と大きく形態が異なっている(木組みで金属パーツを使用したシンプルなもの)であることからも、ペジテ式の風車を建設したと考えられます。
また、ここでペジテ市民が風車を作ることで、ペジテが結果的に風の谷に対して損害を加えてしまったことへの贖罪にもなったことでしょう。
ナウシカは、「父やみんなの病気」「腐海のほとりに生きるものの定め」とされる疾患の原因が、「汚染された土壌で栽培された植物を摂取していた」ことに理由があると考えたのではないでしょうか。そのため、まずは「汚染されていない土壌での栽培」という方向に舵をとったのだと思われます。
(3)その後の風の谷の発展
ちなみに、エンディングの「子どもたちへのメーヴェの授業と、そこから見える海辺の景色」についてですが、あれはよく見ると、「風の谷の海沿いの土地が見下ろせるシーン」となっています。
風の谷を見下ろすシーンは、ストーリー序盤のユパが谷にやってきたシーン*28にも見られます。その時点では、海沿いはそこまで開拓されている様子はみられません。その一方で、エンディングのシーンでは、海沿いギリギリまで畑が開拓されているようすが見られ、また海のそばには溜池のようなものも見られています。
あのエンディングのメーヴェ教室のシーンはおそらく、風の谷が戦争を乗り越えてた以降により栄えていったことを示すシーンだったと考えられます。開拓範囲が広がったことは、谷全体の人口増加(≒死亡率減少)を示唆する描写なのかもしれません。
※このシーンは子どもたちと共に描写されていることから、胎児および乳児死亡率の低下も示唆しているシーンかもしれません。原作では風の谷では小児の死亡率の高さが問題となっていました(ナウシカの兄弟たちが軒並み死亡していること、赤子を助ける薬草が必要なこと、子供が少ないとユパが感じていることなど)。
※子供の死亡率が高いという原作の設定が、アニメ版にどの程度反映されているかは不明です。ただ、原作と比較すると、アニメ版は風の谷の子供は少なくはないという描写がされているようです。敢えて言うなら、トエトの子が「姫様のように丈夫に育つ」ことを願う程度のセリフにしか残っていません。
※将来的に谷の子どもたちが、汚染のない土と水で育つことで腐海のほとりの病にかからずに生きていける、という意味での描写だったパターンも有りえます。きっと、ユパが名付け親となったトエトの子も丈夫に育つことでしょう。
5. 「蒼き清浄の地」とはどこか
(1)それでも腐海は広がり続ける
汚染のない土壌を使った栽培によって、ひとまず短期的な解決はできました。谷の人々が悩まされてきた疾患についても、今後は改善に向かっていくのでしょう。
しかしながら、いくら腐海の森が水や土を清めているとはいえ、瘴気を出し続ける腐海の森が広がり続ける限り、人の居住環境の範囲が狭まっていくことには変わりありません。いずれ風の谷すら腐海が飲み込むこともありえます。その時、人々はどこで生きていけばよいのでしょうか。
それに対する回答は、エンディングの「腐海の奥へと探索に行くアスベルとユパ」の描写につながっていると私は考えます。
(2)ラストの「葉っぱ」は何なのか?
エンディングのラストシーンでは、腐海の底に何らかの葉っぱが生えています。腐海の森に生えるのは本来、腐海の森の植物です。胞子を出したりする菌類のようなものであり、ラストに描かれている広葉樹のような植物ではありません。
ではあの植物はどこから来たのか?そのヒントが「ナウシカのゴーグル」にあります。つまり、ナウシカが持ち込んだ地上の種子であるチコの実と考えられます。蟲に襲われ転落したときに、チコの実も一部落下したのでしょう。
※実はこの点については、絵コンテで「チコの実の芽」とはっきり記載されています。
「とっても栄養がある」とされるチコの実が、空気と水が清浄な空間で芽生えることができたということは、腐海の底でも人が食用にできる栄養価の高い植物の栽培が可能ということです。また、ここでは蟲たちの脅威もありません。これはつまり、腐海の底という新たな空間が、いずれ人間の居住地として使える場所になっていくことを示唆しているのではないでしょうか。
(3)アスベルとユパの旅の目的
腐海の底の実在を知っているアスベルが、ユパとともに腐海の森へと向かったのは、いずれ彼らが再び腐海の底を発見することができるだろう、というフラグなのではないでしょうか。そして彼らが腐海の底へ再びたどり着いたときには、チコの木が生い茂っている姿を目の当たりにすることでしょう。
そのときこそ、人間が「腐海の森が広がり続ける中で、次に暮らす場所はどこか」への回答なのだろうと思われます。そしてその腐海の底こそが、「蒼き清浄の地」なのではないでしょうか。
彼らは、人々が歩いて腐海の底へと至ることができるルートを探しに出かけたのかも知れません。(ナウシカ単独で腐海を探索すると、普通の人では辿れない移動ができてしまいそうですし)
そして、腐海の底には清浄な地があることを知っているナウシカだからこそ、それを探しに向かうユパとアスベルのことを、以下のようなこんなにも清々しい表情で見送ったのではないでしょうか。これは、彼らの旅によって人々が腐海の毒に怯えずに暮らせる場所を見つけられるかも知れない、という希望に満ちた表情だったのかもしれません。
6. [補足1]ナウシカ・レクイエムを歌っていたのは誰?
ラン、ランララランランラン、という悲しげなメロディが印象的な歌。この曲は作中で3回登場します。
(1)王蟲と接触し、触手でぐるぐる巻きにされるシーン*29
(2)ナウシカ幼少期の記憶を思い出すシーン*30
(3)金色の野を歩いているシーン*31
ではここで、それぞれの歌声の違いと各シーンの描写について振り返ってみましょう。
※サウンドトラックによると、「腐海の奥で王蟲一人と交流するシーン」の曲名は「王蟲との交流」、ナウシカが王蟲に轢かれたあとの曲名は「ナウシカ・レクイエム」となっています。
(1)触手ぐるぐる巻きのシーン
腐海の奥にある王蟲の巣で、王蟲とナウシカが接触するシーン。触手に包まれたあと、王蟲の目がアップになります。青く澄んだ瞳から青空と金色の野に移り変わり、バックの歌は幼い子供(4歳くらいの拙い声)で歌っています。大きな木と眩しい木漏れ日のシーンが映り、王蟲の目のカットに戻って終了します。鮮やかな色使いと輝く光が特徴的なシーンです。
(2)ナウシカ幼少期のシーン
銅版画タッチで描かれ、くすんだ色合いで表現されています。ナウシカ自身の当時の心情がモノローグで語られ、バックの歌は最初よりも少し大人びた女性(10代程度)の声をしています。大きな木の根元に隠していたはずの王蟲の子供を父ジルに奪われ、「お願い、殺さないで!」と懇願するところで途切れます。
(3)金色の野を歩くシーン
ここでの歌声は再び、幼い子供(4歳くらいの拙い声)となっています。
考察 - 拙い歌声の主について
触手が出る≠拙い歌声
上記の(1)〜(3)の状況だけ見れば、「王蟲が触手を出すと、拙い声の歌が聞こえる」ものと思ってしまいます。しかしながら本編中には、触手を出していてもあの歌を歌わない王蟲がいます。ペジテの囮となっていた小さい王蟲です。
囮の王蟲は「ナウシカが酸の湖に傷を浸したあと*32」と「王蟲に飛ばされ倒れた直後*33」の2回触手を出していますが、そのどちらも、この子の触手だけが出ている状態では、あの歌は流れません。
また、「王蟲に飛ばされ倒れた直後」のシーンでは、以下のようにBGMが変化していきます。
- 囮の小さい王蟲がナウシカのそばで触手を出す:曲なし
- 近くの大きい王蟲たちが触手でナウシカを持ち上げる:ヘンデルのサラバンド風のメロディ
- 周囲の王蟲たちが触手を伸ばして金色の野を作る:「ラン、ランララランランラン、」と拙い歌声が聞こえてくる。
ここから、「拙い声で歌っているのは誰か」をある程度絞り込むことができます。
ナウシカと王蟲の接触経歴
ナウシカが最初に王蟲と接触したのは、(2)の幼少期と思われます。記憶の中のナウシカはおおよそ4, 5歳程度の姿で描かれています。この年齢は、(1)と(3)で聞こえてくる歌声の年齢と合致する年頃です。
※なお実際の収録では、久石譲さんの当時4歳の娘さんが歌い収録を行ったとのことです(ソースは下記)。
久石譲の娘・麻衣、「ナウシカ」曲初披露へ…映画公開から30年 | ORICON NEWS
また、(2)のナウシカの記憶の中で同じメロディの歌が流れるということは、あの歌はナウシカがもともと知っていた歌と考えてよいでしょう。
この作品の中であの歌はナウシカと王蟲をつなぐ象徴となっています。もしもあの歌がナウシカの幼少期に由来するのであれば、それはつまり、幼少期にナウシカが歌っていた歌声を、ナウシカがかつて保護した王蟲の子供が覚えていたのかもしれません。
(1)のシーンで見える金色の野と大きな木が、子供の王蟲が見た景色と仮定するならば、(2)のナウシカが王蟲を隠していた場所の景色と同じ場所と推測されます。王蟲の目から見たあの場所と当時のナウシカの歌声は、それほどまでに輝かしく見え印象的だった、ということをナウシカに伝えたかったのでしょう。
また、ナウシカと最初に触手で接触した(1)の王蟲が、ナウシカに対してあの歌を歌いかけたということは、(2)で「殺さないで!」と頼んだ王蟲の子供が、殺されずに腐海の森の奥へと放たれたと考えることもできます。つまり、あのシーンは「あの時助けてもらった王蟲です」という、ナウシカとの再会のシーンだったとも言えるかも知れません。
そう考えると、(2)のシーンから目覚めた直後のナウシカが、やや涙ぐみつつも穏やかな表情をしているのも、「別れの悲しい記憶を思い出して泣いている」のではなく、「あのときの王蟲は死んでいなかった」という喜びの涙だったのだと考えることができます。
なお、(2)のシーンで流れるやや大人びた声の歌声は、おおよそ10代の女性程度の声に聞こえますので、現時点のナウシカの歌声(=その夢を見ていた時点での年齢)と考えるとよいのかもしれません。
ナウシカを慕う王蟲たち
ナウシカの歌を記憶しているのは、おそらくは「幼少期のナウシカに接触した王蟲の個体」と、その個体からナウシカの存在を教えてもらった王蟲の仲間だと思われます。
ナウシカ接触個体がナウシカのことを命の恩人と思っており、王蟲たちがナウシカのことを王蟲口コミで知っているのであれば、最後に王蟲たちがナウシカの命を助けた(復活させた?)ことにも説明がつきます。また、そのシーンの内、「王蟲が皆で触手を伸ばしたタイミング」であの歌が流れるのも、「あの歌を覚えている王蟲の個体が触手を出した」ことであの歌が流れたと考えることができます。
また、ペジテの囮だった王蟲の子供は、小さい(=生まれたばかり?)であったために、幼少期ナウシカのエピソードとそれにまつわる歌を知らなかった可能性があります。それゆえ、触手を出してもあの歌を歌えなかったと思われます。
よって、あの歌声は、「幼少期のナウシカの歌声」であり、かつ、それを覚えていた王蟲の記憶(≒録音)を再生したものだったのでは、と私は考えています。
7. [補足2]ナウシカの「不思議な力」はテレパシー?
冒頭、ユパは暴走する巨大な王蟲からナウシカに命を救われ、その上凶暴なキツネリスをすぐ手懐けてしまったナウシカを見て、「不思議な力だ」と独白します。
では、そのユパの言う「不思議な力」とは、どんな能力のことを言うのでしょうか?蟲と心を通わす力?生き物を愛する心?
もしかするとそれは、「テレパシー」のことかもしれません。
ナウシカにテレパス能力があることは、下図のように原作ではわりとはっきりと描写されています(第1巻の中だけでも6回)。
一方でアニメ版では、この設定についてははっきりと明言されるシーンはありません。原作の設定をどこまでアニメ版に反映しているかは不明ですが、アニメ版でもふとしたタイミングでそれらしい描写が挟み込まれることで、その可能性を疑わせる構造となっています。そのため、アニメ版だけを見ていても「ナウシカのテレパス能力」を疑うだけの材料は十分揃っています。
ナウシカのテレパス能力が疑われる事例
(1)当然のように生き物や蟲たちに話しかけまくる
そもそもナウシカ自身が、「蟲は話しかければわかってくれる」と思っている様子があります。かつ、実際に彼らはナウシカの言うことには従っています。
[例1: ]冒頭の暴走する王蟲とのシーン
「王蟲、森へお帰り!この先はお前の世界じゃないのよ!ねえ、いい子だから!」
(話しかけた上で話を聞いてもらえないところを確認してから)
「怒りに我を忘れてる。鎮めなきゃ!」
(閃光弾で王蟲を鎮めてから)
「王蟲、目を覚まして。森へ帰ろう」
[例2: ]キツネリスを手懐けるシーン
「おいで、さあ」
「ほら、怖くない。怖くない」
(キツネリスが噛み付く)
「ほらね、怖くない。ね?」
(キツネリスが傷を舐める)
「怯えていただけなんだよね?」*35
[例3: ]谷のウシアブに話しかけながら誘導し、谷の外へと飛ばせて連れて行く*36。
「森へお帰り。大丈夫、飛べるわ。そう、いい子ね」
[例4: ]腐海の中の王蟲の巣で、王蟲の触手に包まれてなんらかの視覚的なコミュニケーションを取っている。その上王蟲からなんらかの情報を受け取っている*37。
「私達を調べている......。王蟲、ごめんなさい!あなたたちの巣を騒がせて。でもわかって、私達あなた方の敵じゃないの。」
「あの人が生きているの?待って!王蟲!」
普通の人々は、谷の人々でさえ、そもそも蟲に話しかけたりなどしていませんし、ウシアブが居ればまず撃ち殺そうとしたりする対応を示しています。また、ナウシカがウシアブの目の前に行く様子をみて、谷の人々もどよめいている様子があります。
その点からも、ナウシカの特異性が際立っていると言えるでしょう。
ナウシカの、テトへの対応やトリウマのカイ&クイに話しかける様子は、一見すると、「ペットに話しかける人」やムツゴロウさんっぽさがあるように見えてしまいます。しかしながら彼女の能力はそこでおさまる程度ではありません。その能力は巨大な暴走する王蟲にも有効な上に、王蟲から情報を引き出したりしているところを見ると、「ただの生き物好き」では説明できない能力であることが示唆されています。
※ここで、ナウシカを「いきものと心を通わせるプリンセス」であると考えると、これはウォルト・ディズニーが描いた「森の動物達とお話する白雪姫」や「小鳥やネズミたちと友達のシンデレラ」などのプリンセス像を、宮崎さんなりに解釈した結果だったのかもしれません。「異なる動物とも心を通わせることができる」という描写の根拠として、「姫はテレパス能力者である」、という回答を出したのかもしれません。
※ちなみに、「風の谷のナウシカ」には「囚われのお姫様」が3人も出てきます。トルメキアに囚われたラステル(死亡)、トルメキアに囚われペジテに連れて行かれたナウシカ(自力脱出)、風の谷で捕らえられたクシャナ(脱走)。
(2)なにかの気配に気づくのが毎回早すぎる
ナウシカは作中において、誰よりも早く、真っ先に物事に気づく場面が多く描かれています。視聴者にもわかるような音やビジュアルでわかりやすく描かれるよりも前に、ナウシカが気づいている様子が、あちこちで見られます。
[例1: ]暴走した王蟲に追われているユパの存在に気づいた時*38。
[例2: ]風の谷に不時着しようとしているトルメキアの船を発見する時に、自分の見えていない方角にいきなり振り返り「はっ、あそこ!」と指摘する*39。
[例3: ]クシャナたちを乗せたトルメキアの軍勢が風の谷にやってくる際、船団が見える前にその気配に気づき、眺めのいい場所に移動する*40。
[例4: ]アスベルの乗ったペジテのガンシップが太陽の中に隠れていることに突然気づき、太陽を見上げる*41。
[例5: ]城おじたちが乗せられたバージのワイヤーが切れて腐海に落ちそうになった際、バージが見える前に方角を含め気づいている*42。さすがのミトも驚いている。
ナウシカ「後席、右後方に注意!近くに居る!」
ミト「えっ」
ナウシカ「まだ飛んでる!」
ミト「あっ、ほんとだ!ほんとにいた!」
※他にも、ペジテの船から脱出してトルメキア軍から撃たれまくってる*43のに一発も弾が当たらず全て回避しているのも、テレパス能力を使っている可能性が考えられます。
※ナウシカが劇中で被弾したのは、囮の王蟲を連れたペジテの兵士を止めるために仁王立ちになり、メーヴェから足を離して自由落下しているシーンだけです。能動的に動けるうちは被弾0で回避できる人なのです。
(3)なにかビジュアル的な念を飛ばしている
アスベルがトルメキアの船を落とそうと撃っていた時、「やめて!」とナウシカが叫ぶと、実際の服とは異なる白いワンピースを着たのナウシカの姿がアスベルに伝わっています*44。
アスベルの状況などから考えると、ナウシカは何らかのビジュアル的なものを発するタイプのテレパス能力者なのかもしれません。
ほかにも、王蟲の触手にぐるぐる巻にされているシーン*45でも、ナウシカの服は飛行服から白いシャツのようなものに変化します。ナウシカにとって「白い服」は精神面でのやり取りをする際のビジュアルと考えられます。
※ジルを殺されブチギレて、トルメキア兵を相手に暴れまくり一騎当千の戦いぶりをみせたナウシカ*46。素の戦闘能力が高いことも十分考えられますが、彼女にテレパス能力があること、また気合いを入れれば念でなんらかのビジュアルを送ることができるという前提をもとに考慮すると、あの大暴れの中ではトルメキア兵に対して「何らかの念」を放っていたことも考えられます。それにより、ナウシカが無双する結果になったのではないでしょうか。
※ちなみに漫画版ではテレキネシスを使って相手の体を操作することもできています。
「わたし、自分が怖い......!憎しみにかられて、何をするかわからない!もう、誰も殺したくないのよ......」*47
ナウシカのテレパス能力に気づいたユパ
ユパは、ナウシカの特殊な能力が発揮されている場面を3度目撃しています。
- 怒れる巨大な王蟲を鎮める:ナウシカが「閃光弾と蟲笛だけで」鎮めたと思い驚く*48。
- 怯えたキツネリス:ナウシカが話しかけることで怒りを鎮めた様子に、「不思議な力だ」と考える*49。
- 風の谷に来てしまったウシアブ:ナウシカが蟲笛を使って話しかけて誘導し、飛び立たせている様子を目の当たりにする*50。
おそらくここでユパはこの3度の経験から、最初の王蟲のときも「閃光弾と蟲笛だけで」鎮めたわけではないことを理解したと考えられます。ナウシカのもつ不思議な力とは、この「話しかける、心を通わせる能力」であると、3度めの時点で確信を抱いたのかも知れません。それを裏付けるように、ウシアブとともに飛び立ったナウシカを、ミトとともに見送るシーンでは、ユパの強い眼差しがアップになる描写がされています*51。
ナウシカのテレパシー能力にいち早く気づいたユパは、いざという場面でとっさにナウシカに念を送っています。ナウシカが怒りの感情に任せてトルメキア兵を殴り殺して暴れた直後のシーン*52です。表向きはトルメキア兵に説得をしながら、念でナウシカの心に直接語りかけています。
これはユパもテレパシー能力者だった、というわけではないと思われます。ユパはナウシカの能力の性質に何となく気づいた上で、試しに念じて伝えてみたのではないでしょうか。結果的に通じてしまっているのですが。
8. [補足3]ペジテ兵士とのやり取りの謎
(1)なぜナウシカをラステルと誤解したのか
王蟲の子を囮にしているペジテの兵士を止める際、ナウシカは両手を広げて仁王立ちとなり、ペジテの兵士たちの前に立ちはだかります*53。そのナウシカの姿を見て、若い射撃手は
「いやだ、撃ちたくない。ラステルさん.....っ!」
と口走っています。このシーンもナウシカのテレパシーでなにか送ったのでしょうか?
これについての詳細はわかりませんが、あれはナウシカがあの服の紋章を彼に見せつけていたことで生まれたやりとりなのではないでしょうか。
(2)変装がペジテの姫の服だった可能性
あの服はラステル(=ペジテの姫君)の母(=后?)から譲り受けたもの*54であり、胸の部分に派手な紋章が入っています。またこの服は風の谷の人が見れば子供でも「異国の服」とわかるデザインとなっています。もしかすると、ペジテの紋章などが入った、王家の女性が纏う服だったのかも知れません。
ナウシカ自身も族長の娘ですから、それがもし他国を象徴する紋章であれば、その紋章の意味を理解して着用していた可能性もあります。
この服はよく見ると、紋章の中心部分に光沢のあるかなり大きな赤い石のようなものがつけられており、平民の服ではなかなか使用されないサイズ、素材でできている様子です(下図参照)。
※原作漫画では、赤い宝石については「タリア川の石」という宝石が登場します。ナウシカの耳飾りもこの石からできているとのことです。
この「赤い石が衣服に大きく縫い付けられている」というのは、ペジテの姫君の装束の象徴だった可能性が疑われます。物語前半の、トルメキアの船が墜落してラステルが負傷したシーンでも、ラステルは「頭に大きめの赤い石がたくさんついた帽子」をかぶっています。その身なりを見て、ミトもひと目で彼女がペジテの姫であることに気づいています。
「この方は、ペジテ市の王族の姫君ですな」
以上より、そうした装飾品などから「ペジテの姫を想起させる服」を着た女性が、ペジテ市民の目の前に現れれば、とっさに「ラステルさん」だと思ってしまうのも無理はないかと思われます。
ナウシカ自身もそれを狙って、あえてテレパシーではなく仁王立ちで紋章を見せつける形でペジテの兵士に立ち向かったのでは、と考えます。
(3)ラステル母の意図と、身代わりの娘
ラステルの母は、ペジテの姫君の母ですから、ペジテ王族の一員と考えられます。その人物が、ナウシカ姫に対して非礼を詫び礼を尽くすのであれば、そこで彼女に貸し出す服は「高貴な服」だったと考えられます。「アスベルからすべて聞きました」と語っていることから、ナウシカが族長であった父を既に喪い、今や風の谷の族長の立場となっていることも理解した上での対応だったことでしょう。
そしてその場には、ナウシカに服を渡し、身代わりとなった少女がいました。ナウシカは彼女のことを心配しますが、ラステルの母は「大丈夫、心配しないで」と言い切ります。
彼女は後のユパ乗り込みの直前のシーンで、窓際で銃を携えて待機しています。ある程度の武装を扱うことができる人物のようです。
彼女の存在についても何パターンか可能性が考えられます。
- もともとラステルの影武者等、護衛役の少女だった(いざとなったら戦って死ぬ覚悟ができている役職の子だった)。
- ペジテの姫君の中で、ナウシカと年が近い姫の生き残りが身代わりとなった。
- ペジテの市民から有志を募った。
私自身は1の仮説を考えています。
とはいえ、別な章でも語っていますが、基本的にペジテの人々はいざとなったら自爆特攻をしかける文化圏の人々なので、だれが身代わりになっても死ぬ覚悟ができている状況だったかもしれません。
9. [補足4] 王蟲の群れの先頭に降り立った理由
ナウシカは、風の谷に向かって暴走する怒れる王蟲の群れを止める手段として、「自分が群れの先頭に降り立つ」ことを思いつき、実行します。それは結果的に見事成功するのですが、なぜうまくいったのでしょうか。ナウシカはなぜそれを思いついたのでしょうか。
おそらくこれには、ナウシカ自身の経験が影響していると思われます。
(1)「怒りに我を忘れてる」
ナウシカが物語冒頭の巨大な王蟲に対して言った、「怒りに我を忘れてる」というセリフ。ナウシカはそうなった蟲たちを鎮める術として、蟲笛や閃光弾という手段を使っていました。しかし彼女は、彼女自身が「怒りに我を忘れてる」状態になることには慣れていませんでした。
ジルを殺され大暴れしてしまったナウシカは、まさしく怒れる王蟲と同じ、「怒りに我を忘れてる」状態となっていました。大婆様が暴れるナウシカに対して「ナウシカ......」と呼び止める声にすら一切反応を示さないところは、蟲笛に反応しない王蟲の姿とも重なります。
そんなナウシカを止めることができたのは、ユパが身を挺してナウシカの剣を受け止めたからでした。ユパは、自身の傷ついた姿やそこから流れ出る血をナウシカ自身に見つめさせた上で、ゆっくりと語りかけることにより、ナウシカの冷静さを取り戻させています。
ナウシカにとってこの経験はとても衝撃的なものとなったであろうことが、その場面のナウシカの様子から読み取れます。
自らの攻撃によって、敬愛する人物が傷つき血を流してしまった姿を目の当たりにする。それは、怒りで我を忘れてしまった者が冷静さを取り戻すための最終手段として、ナウシカの中に記憶されたのでしょう。
(2)王蟲との関係性への信頼
ナウシカは、腐海の底でかつて助けた王蟲と再会したことで、王蟲と自分との間には精神的な結びつきがあると確信したのではないでしょうか。
そして、蟲笛や閃光弾も効かない「怒りに我を忘れてる」王蟲の群れを鎮めるための手段として、その王蟲との信頼関係に賭けたのだと思います。
自らの攻撃によって、敬愛する人物が傷つき血を流してしまった姿を目の当たりにする。
ナウシカに残された、そしてナウシカが師から身を以て教えられたその「鎮める」手段を実行するにあたり、ナウシカは自分が王蟲から「愛されている」ことを信じたのかもしれません。
そうして、自ら身を挺して王蟲の群れの先頭に立ち、王蟲によって傷つけられた姿を晒し、王蟲たちに見せつけたのだと思います。
結果的に、ナウシカはその賭けに勝ちました。王蟲たちはナウシカを慕い愛していたのです。王蟲の突進により負傷したナウシカを取り囲んだ王蟲たちは、ナウシカの傷ついた姿を目の当たりにし、次第に冷静になって行きました。
そして、彼らは愛するナウシカのために触手を伸ばし、彼女の傷を癒やしました。ナウシカとの絆の象徴であるあの歌を歌いながら。
(3)原作の描写との比較
「ナウシカが怒りで暴れるのをユパが止める」シーンと「王蟲の群れをナウシカが食い止めるシーン」は、いずれも原作漫画にも存在しますが、アニメ版ではかなり描写を変更されています。
ユパが止めるシーンでは、アニメのようにいきなりブチギレて暴れまわるのではなく、ナウシカはもっと言語的コミュニケーションをした上で最終的にブチギレ、1対1の決闘に持ち込んでいます。また、この場面でユパはそんなナウシカのことを「王蟲のように怒りで我を忘れている」とはっきり表現しています。
原作の描写と比較すると、アニメの表現はより「ナウシカの暴走」を強調した描写に変更されていると言えます。
また、王蟲の群れを止めるシーンは、原作では「くるな!」と強い念話(テレパシー)を放って止めています。
アニメ版では全体を通して、ナウシカのテレパス能力をはっきりとは描かない方針にしているため、原作のような止め方は描写できなかったのでしょう。
そのためアニメ版では、ナウシカの暴走をより王蟲に似たものに寄せることによって、「ナウシカが怒りに我を忘れている」ことをセリフをつかわずに表現しています。
そしてそこを引用することで、アニメ版では、ナウシカを止める手段を示すユパ、それをなぞって王蟲の群れを止めたナウシカ、という構図に変更したのではないでしょうか。
10. おわりに - ストーリーの図解
最後に、これらの考察を組み込んだ上で、アニメ劇場版ナウシカのストーリーがどのように進んでいくかを図解してみました。
まずナウシカの物語が始まる前の前提として、以下のような状況があります。
ここから、ナウシカを中心として下図のように複数のストーリーが動きます。
こうして見てみると、作中で本筋として描かれている「巨神兵をめぐる戦い(赤の矢印)」と並行して、「ナウシカの研究(青の矢印)」と「王蟲との絆(黄色の矢印)」と、合計3つのラインがあることがわかります。
そしてそれぞれの矢印が、
青: 病いの原因を突き止める→蒼き清浄の地がいずれ見つかる
黄: 王蟲との交流→失われし大地との絆を結ぶ
と、大きな解決策に結びつき、今後来るであろう(比較的)明るい世界を示唆しています。
原作とはかなり異なる結末となったアニメ版ナウシカですが、アニメ版はアニメ版で、作中で問題提起された内容に対し、アニメ版なりの回答を示し完結したのだろうと私は考えています。だからこそ最後の「おわり」のシーンには葉っぱの存在が重要だったのだろうと思います。
*1:本編20分ごろ
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*14:本編39分ごろ
*15:本編1時間13分ごろ
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*17:本編16分ごろ
*18:本編1時間48分ごろ
*19:本編19分ごろ
*20:本編1時間55分〜
*21:本編20分ごろ
*22:本編1時間14分ごろ
*23:本編42分ごろ
*24:本編1時間6分〜
*25:本編1時間9分
*26:本編1時間8分
*27:本編1時間21分
*28:本編17分および19分ごろ
*29:本編56分ごろ
*30:本編1時間2分ごろ
*31:本編1時間53分ごろ
*32:本編1時間44分
*33:本編1時間52分ごろ
*34:本編11分ごろ
*35:本編13分頃
*36:本編27分ごろ
*37:本編56分ごろ
*38:本編8分ごろ
*39:本編22分ごろ
*40:本編31分ごろ
*41:本編46分ごろ
*42:本編51分ごろ
*43:本編1時間29分ごろ
*44:本編49分ごろ
*45:本編56分ごろ
*46:本編33分ごろ
*47:本編43分ごろ
*48:本編12分ごろ
*49:本編14分ごろ
*50:本編27分ごろ
*51:本編27分ごろ
*52:本編34分ごろ
*53:本編1時間41分ごろ
*54:本編1時間25分ごろ