「WALL-E」エンディング考察 - 「ラピュタ」「ナウシカ」「2001」との比較

 PixarによるフルCGアニメ映画「WALL-E(2008)」のエンディングに関する考察です。主に、地球と人間、ロボットとの関係性について、「天空の城ラピュタ(1986)」や「風の谷のナウシカ(1984)」、「2001年宇宙の旅(1968)」からの影響なども含めて考察しています。

※「HELLO, DOLLY!」との関連については、別記事で記載しています

→(書き終わったらリンクを貼り付け予定)

0. WALL-Eのあらすじ

 まだ映画「WALL-E(2008)」を見ていない方、また、見たけれども人間とロボットの関係についてうろ覚え、という方は以下の記事を参照してください。

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1. エンディングの描写について記載

 WALL-Eたち含むAxiomの乗員たちは地球に降り立ちます。そして未だゴミまみれの大地に、EVEとWALL-Eが守り抜いた植物の苗を植えて、栽培をしようと意気込みます。

 その背景には、数多の植物が生い茂りつつある.....という引きの画面で、エンディングとなります。ライターを灯す音と共にエンディング曲の「Down To Earth」が流れ、エンディングアニメーションが映し出されます。まずは、こちらのアニメーションについて振り返ります。

エンディングアニメーション

  1. 単色で描かれた洞窟壁画調のタッチ。Axiomが地球へ帰還し、艦長の指揮のもと苗を植える様子。ロボットが火をおこし、男女は赤ん坊を抱えている。
  2. エジプトの壁画風のタッチ。Axiomの脱出用ポッドから現れ、Axiom艦内で使用されていたドリンクをサーブする人物。脱出用ポッドから降りて火の周りに集まってくる。
  3. 引き続きエジプトの壁画風のタッチ。艦長の指揮のもと、EVEが井戸を掘削。
  4. 古代ギリシャの壷絵風のタッチ。灌漑で作った水路を元に、ロボットと人が協力して農業を行っている様子。麦やブドウが栽培される。
  5. モザイクタイル風のタッチ。海に魚やウミガメたちが戻ってくる。
  6. 鉛筆画風のタッチ。豊かな川の流れの中でロボットと共に網で魚を捕る人間の様子。
  7. 引き続き鉛筆画風のタッチ。ロボットと共存しながら、背景には建築物も見られる。人間は未だ肥満体だが、手足が正常の長さに戻っている。魚を売り買いする人々の様子。
  8. 水彩画のタッチに。ロボットと協力しながら、足場を組みレンガ積みの建物を建てる人々の様子。
  9. 厚塗りの油彩タッチに変化。建築物はさらに増える。海にはヨットが浮かぶ。
  10. 印象派の点描画風のタッチ。子どもたちは野を駆け回り、水辺で釣りをする人物。水面にはいくつものヨットが浮かび、遠景には草むしたAxiomの姿。
  11. 印象派の油彩画風のタッチ。あふれるほど咲き誇る花々。ミツバチや青い鳥の姿。
  12. 印象派の油彩画風のタッチ。大きな木が育った傍に、二人寄り添っているWALL-EとEVEの姿。この木は、艦長が地上に降り立って最初に植えた苗から伸びている。

 上記のような場面が映し出された後、スタッフロールへと続きます。

歴史と連動する絵柄の変化

  • 単色で描かれた洞窟壁画調のタッチは、おそらくラスコーがモデル。ラスコーの洞窟絵は約4万年前に描かれたもの。
  • エジプトの壁画風のタッチは、元となったエジプト壁画の時期を考慮すると、紀元前2000年頃の絵を参考にしている。
  • 古代ギリシャの壷絵風のタッチは、特に体を黒く書いていることから、モデルとなったのは黒絵式の壷絵と推測される。これは紀元前620年頃の絵柄。
  • モザイクタイル風のタッチは、おそらく古代ギリシャ古代ローマ頃に使用されていたモザイクタイルがモデルとなっている。これは時期がかなり開いてしまうが、時代が徐々に下るように組まれていることを考慮すると、おそらく紀元前400年以降を意識していると思われる。
  • 鉛筆画風に至るまでの間がかなり空いている。鉛筆画に関しては元の画風の推測が困難。
  • 水彩画もモデル不明。
  • 厚塗りの油彩画風もモデル不明。
  • 印象派の点描画風のタッチは、おそらくモデルとなっているのはジョルジュ・スーラの画風。19世紀後半の画家。
  • 印象派の油彩画風のタッチは、クロード・モネに近い。19世紀後半から20世紀初頭の画家。

 上記のように、Axiomを降りたあとの人々の生活と、少しずつ自然が回復していく姿、文明が再び発展していく姿が歴史をなぞるように描かれています。またその時代が下っていく様子を、画風を変化させることで、画風の歴史に沿って表していると言えます。

2. 作中の地球と宇宙について振り返り

WALL-Eが住む地球

  • ゴミが地球上の表面を多い、植物がほぼ生えていない(=砂漠に近い天候?)
  • 大気汚染が激しく、青空は見えない
  • 激しい嵐が時折やってくるので、建物内に身を隠す必要がある。この嵐はおそらく、砂漠に吹くハブーブ(haboob)のようなもの。
  • 作中の時代は、おそらく2800年代ごろ(2110年から約700年後)

※宇宙間で地球-Axiomの間を移動している間にどれほどの速度で移動してどれだけの年数が経ったのかの詳細は不明。おそらく数十年の誤差ではなく、数年前後と思われる。

地球上のロボット

  • WALL-Eは「Waste Allocation Load Lifter Earth cleaner」の略称。
  • ソーラー発電で駆動し、理論上はほぼ永続的に行動できる。
  • 地球上には無数のWALL-Eが居たが、いずれも機能停止してしまい、現在稼働しているのは1台(=主人公)のみ。
  • 機能停止した他のWALL-Eのパーツをかき集めて、共食い整備をしながら主人公は動き続けている。
  • WALL-Eが集めたゴミを処理する巨大ロボットなども存在したが、現在は稼働していない。
  • もともとは5年の地球浄化作戦だったため、700年も経つうちに殆どのロボットが動かなくなったと考えられる。

地球浄化作戦

  • 世界大統領により多量のゴミについて緊急事態宣言が発令される。
  • その解決策として打ち出されたのが、宇宙への一時的な移住と、WALL-Eたちを使用した「地球浄化作戦」。
  • 世界大統領が「5年間の豪華クルーズ」と宣伝していたこと、Axiom艦長が「5年の旅に出て700年目、25万5642日目」と語っていることから、おそらく本来は5年で終了する計画だった。
  • 2110年(おそらく地球浄化作戦を開始してすぐの頃、700年後から見ると誤差の範囲。10年以内程度?)に、地球浄化作戦は失敗と判断される。世界大統領から全Axiomのオートパイロットに対して「Do not return to Earth(A113)」が発令される。

Axiom

  • 人間のための居住性に特化した宇宙船。5年間の航行の予定だったはずだが、700年経過しても問題なく稼働している。
  • 複数のAxiomが地球から飛び立った(劇中のCMより)。しかし、劇中に登場するのは1隻のみ。
  • その後、地球上に植物が増えても他のAxiomも地球に降りてきた様子はエンディングでも描写されていない

3. 「天空の城ラピュタ」との比較

(1)筋書きの比較

 「天空の城ラピュタ(1986)」との共通点に着目してみると、以下のようになります。

  • 一人で暮らしている男の子(パズー/WALL-E)のもとに空から女の子(シータ/EVE)がやってくる。
  • 女の子は物語の鍵を握る大切なもの(飛行石/植物の苗)を持っている。
  • 二人は空に浮かぶ立派な場所(ラピュタ/Axiom)へと移動する。
  • その場所で敵(ムスカ/AUTO)と大切なもの(飛行石/植物の苗)の奪い合いになる。
  • 二人で大切なもの(飛行石/植物の苗)の秘められた力(バルス/地球帰還プログラム)を発動する。
  • 二人で地上に戻ってきて、一緒に暮らす。

 このように、実は「WALL-E(2008)」と「天空の城ラピュタ(1986)」は大筋がよく似ているのです。これはおそらくオマージュか、かなり意識して作ったと考えてよさそうです。他の点もそうですが、「WALL-E(2008)」はいくつかの宮崎駿作品を考慮して作っていると考えられます。

 また、筋書きだけではなく、「眉間からビームを出して焼き切る」という機能の点もWALL-Eとロボット兵の共通点となっています。

(2)「Down To Earth」と「ゴンドアの谷の歌」

 「WALL-E(2008)」のエンディング曲は「Down to Earth」という曲です。このDown to Earthというタイトルは、本来の意味は「地に足のついた」というニュアンスの語ですが、ここでは作中の「宇宙から地球に戻ってくる」という展開も含めて込められたタイトルとなっています。このエンディング曲は字幕版で和訳が付いていません。和訳についてはこちらのウェブサイトに詳しく記載されています。

Down To Earth(ダウン・トゥ・アース)英語歌詞の和訳と解説|ウォーリー

 今回私は、この歌のサビの部分と、「天空の城ラピュタ(1986)」の作中でシータが言及する「ゴンドアの谷の歌」について比較したいと思います。

日本語版の「ゴンドアの谷の歌」

 「天空の城ラピュタ(1986)」で、ラピュタ復活を目論むムスカによって玉座の間に追い詰められたシータは、以下のようなセリフで応えます。

「今は、ラピュタがなぜ滅びたのかあたしよく分かる。ゴンドアの谷の歌にあるもの。
土に根をおろし、風と共に生きよう。種と共に冬を越え、鳥と共に春を歌おう。』
どんなに恐ろしい武器を持っても、たくさんの可哀想なロボットを操っても、土から離れては生きられないのよ!」

北米字幕版

 北米版の英語字幕では、この「ゴンドアの谷の歌」は以下のように翻訳されています。

This is why Laputa died out. There's a song in my valley...

Put down your roots in the soil,

Live together with the wind.

Pass the winter with the seeds, 

sing in the spring with the birds.

Your weapons may be powerfil. Your pitiful robots may be many. 

But you can't survive apart from the Earth.

北米吹替版

 北米版の吹替版はさらにセリフが異なっています。

Now I understand why the people of Laputa vanished. There is a song from my home in the Valley of Gondoa that explains everything. It says

Take root in the ground,

live in harmony with the wind,

plant your seeds in the winter,

and rejoice with the birds in the coming of spring.” 

No matter how many weapons you have, no matter how great your technology might be, the world cannot live without love.

※この赤字で強調した部分の、英語吹替版で「愛なしには生きられない」と翻訳されてしまっている問題点については、こちらのブログやアマゾンのレビューで議論されています。

今更「天空の城ラピュタ」の名シーンの英訳について考える | つれづれ日記 deux

Spectacular Ghibli film in original Japanese, atrocious dub and sub

Down to Earth

 一方、「WALL-E(2008)」の「Down to Earth」のサビの歌詞は以下のようになっています。この曲ではこのサビを何度も繰り返し歌います。

We're coming down to the ground
There's no better place to go
We've got snow up on the mountains
We've got rivers down below
We're coming down to the ground
We hear the birds sing in the trees
And the land will be looked after
We send the seeds out in the breeze

 ぱっと見た範囲でキーワードとして共通する点を強調してみましたが、この歌詞もまた「ゴンドアの谷の歌」をかなり意識していることがわかるかと思います。

共通点

 「Down to Earth」の歌詞と「ゴンドアの谷の歌」の日本語、英語字幕、英語吹き替えの似たセンテンスを並べて比較してみます。

We're coming down to the ground, There's no better place to go

→土に根をおろし/ Put down your roots in the soil(字幕)/ Take root in the ground(吹替)

 

We hear the birds sing in the trees

→鳥と共に春を歌おう/ sing in the spring with the birds /rejoice with the birds in the coming of spring.

 

We send the seeds out in the breeze

→風と共に生きよう/Live together with the wind(字幕)/ live in harmony with the wind(吹替)

→種と共に冬を越え/Pass the winter with the seeds(字幕)/ plant your seeds in the winter(吹替)

 

 全く同じ意味を歌っているわけではありませんが、「地上に降りてくる理由」「地上で大切にすべきもの」についてキーワードとして使用しているもの(土、鳥、風、種)が共通しています。やはり、「WALL-E」という作品はかなり「天空の城ラピュタ」を意識して作ったのでは?と私は考えています。

 また、Pixarのスタッフはおそらく、英語字幕版か英語吹き替え版を見て参照したのでは?と考えましたので、今回は英語版との比較を用意してみました。

 

 また、ゴンドアの谷の歌ではありませんが、その後に続くシータのセリフ

「土から離れては生きられないのよ!(英語字幕: But you can't survive apart from the Earth!)」

ですが、ここもまた曲名である「Down to Earth」につながっている要素であると私は考えます。

(3)ラピュタのこたえとの比較

 では、Pixarのスタッフは「天空の城ラピュタ」から要素だけを借りて作ったのでしょうか?その点についても考えてみたいと思います。

「土から離れては生きられない」

 先程も記載したように、シータはムスカと対峙するシーンで、ゴンドアの谷の歌を引用した後に以下のセリフを叫びます。

どんなに恐ろしい武器を持っても、たくさんの可哀想なロボットを操っても、土から離れては生きられないのよ!

(英語字幕: Your weapons may be powerfil. Your pitiful robots may be many. But you can't survive apart from the Earth.)

(英語吹替:  No matter how many weapons you have, no matter how great your technology might be, the world cannot live without love.)

 ラピュタのほうは、この「生きる」について英語字幕ではsurvive、英語吹替ではliveと表現されています。ここのセリフの翻訳については、字幕版のほうが比較的マシな翻訳になっています(吹替はセリフが違いすぎる......)。

  ここと対になるのは、おそらくAxiom艦長がAUTOに対して叫んだこのセリフでしょう。

AUTO「ここだと生き残れます(On the Axiom you will survive.)」
艦長「生き残るよりも生きたい!( I DON'T WANT TO SURVIVE! I WANT TO LIVE!)」

 ラピュタ人の末裔でありながら、地上に降りて土と共に生きてきたシータは、「土からは離れては生きていけない」というニュアンスで語っています。その一方、これまで地上で生きたことがない艦長は、「土と共に生きたい」というニュアンスが含まれています。このスタンスの違いは、エンディングの描写にもかなり大きく影響していると私は考えます(詳細後述)。

「たくさんのかわいそうなロボット」

 ところで、シータが言う「たくさんのかわいそうなロボットを操っても」というセリフは、WALL-E本編の内容にも関わってくるものと考えます。というか、これがWALL-Eという作品の出発点にもなっていそうなくらい、重要なセリフと私は考えます。

 シータの言う「かわいそう」の範囲はおそらく、「ラピュタ」における無残に殺されていった数多のロボット兵ばかりではなく、園庭のロボット(下図)も指していると考えられます。主人を喪ってもなお働き続け、目的を失いながらもその役目を全うしようとするロボットたちの姿を指しているのではないでしょうか。

 「WALL-E」で描かれているロボットのうち、地球上で荒廃し機能停止してしまった他のWALL-Eたちや他のロボットたちは、上図の機能停止した園庭ロボットの姿とも重なります。また、自分たちの仕事内容に縛られ続け、異なる行動を行ってしまうとAxiom内の「修理室(Repair Ward)」に送られてしまうことも、「かわいそうなロボット」に含まれるのでしょう。

「好き」という異常(エラー)

 地球でただひとり生き残り、ロボットとしては"異常"な、好きなモノを愛して生きるようなWALL-Eの側面も、Axiom内の基準では「修理行き」になりうるのです。故に、EVEが修理してしまったWALL-Eは、一時的に"異常"が消え、モノやEVEへの愛情、愛着を失ってしまう描写がされています。

 Axiom艦内の修理室に隔離されていた"異常"なロボットたちもまた、WALL-Eと同様の「好き」を持ってしまったロボットなのではないでしょうか。「好きな色を塗りたい」、「ロボットにお化粧をしたい」というような自由意思は、修理行きとなってしまい、Axiomのロボットたちには許されていないのです。そんな彼らがWALL-Eが愛した歌を好み、一緒に歌ったというのも、「何かを好きになる」という"異常(エラー)"を抱えていたからでしょう。

 だからこそ、彼らはエンディング直前のシーンで、彼らたちが寄り添って描かれていたのかもしれません。"異常(エラー)"を抱えてしまい、本来であれば修理に回され、その獲得した"異常(エラー)"=個性を消されてしまうはずだった、「かわいそうなロボット」たち。そんな彼らも、Axiomから開放され自由になり、互いに寄り添って生きていけば、「かわいそう」ではなくなる、とPixarは考えたのかもしれません。

 

 なお、このWALL-Eが抱えていた"異常"については、次の「ナウシカ」との話にもつながってくるものであると私は考えます。

4. 「風の谷のナウシカ」と比較

 上記で「ラピュタとの類似性」について語りましたが、この作品の背景設定については「ナウシカにも近い」といえる部分があります。

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なお、私の中でのナウシカの考察は上記にまとまっています。

(1)背景設定の比較

  • 人間の手によって汚染(火の七日間/ 地球がゴミまみれ)が進み、大気も汚染され(瘴気 / 空気汚染)、居住可能な場所が減った世界。
  • 汚染された地球の浄化が進められる(腐海の森による浄化/ WALL-Eによるごみ処理)。
  • 長期間(1000年/700年)経過し、植物の芽が生えた(アニメ版では腐海の底のチコの芽 / WALL-Eの見つけた苗)ため、次の住む場所(腐海の底=蒼き清浄の地 / 地球)が決まる。

 前章ではWALL-EとEVEをめぐるメインストーリーは「天空の城ラピュタ」に類似していることを指摘しました。その一方で上記のように、地球の汚染やその浄化に関する描写はむしろ「風の谷のナウシカ」のほうに類似していることがわかります。こちらもやはり、荒廃世界ものという共通のミームを参照しているという点だけでなく、主人公の立ち位置も含めて、ある程度意識して作っていると考えられます。

(2)主人公が抱えている"異常"と、築いた絆

 私は以前のナウシカ考察のブログで、「ナウシカにはテレパス能力があった」という推測をしています。この能力を持っている人間はアニメ版には他に存在していません。いわば、このテレパス能力は「風の谷のナウシカ」における"異常"な能力なのです。

 ナウシカはこのテレパス能力によって蟲や生き物たちと心を通わせ合うことで、人々が恐れる蟲を愛し、信頼関係を築き上げました。そしてその信頼関係によって、ナウシカは最終的に、自分の身を犠牲にしてでも、人々を蟲の暴走から守っています*1ナウシカは人と蟲との間を取り持ち絆を結ぶ存在として描かれているのです。また、ナウシカは人々に「次に居住できる場所」を導く存在としても描かれています。

 

 WALL-Eもまた、前章で述べたように、「モノを愛する、愛着を持つ」という"異常"を持っています。本来であればこの機能はロボットには備わっておらず、修理室送りとなってしまう機能であり、そして修理されるとそれは消えてしまいます。

 この"異常"を持っていたからこそ、WALL-Eは「ロボットとして与えられた自分の使命を手放してでも」、EVEと一緒にいるために地球を離れる決心をすることができました。

※この「使命を手放して愛に生きる」点については、別記事の「HELLO, DOLLY!」との話にもリンクします。

 そうしてWALL-EがAxiomに乗り込んだことにより、バーチャル越しでのやり取りしかしない無関心な人間ばかりだった環境に、「互いに興味をもたせ」「地球に興味をもたせ」るような変化をもたらしました。つまり、WALL-EがAxiomの中を動き回ったことにより、人間たちもまた、人への愛、地球への愛、そしてロボットへの愛(WALL-Eの損傷を悼む等)、を抱くようになったのです。また、WALL-Eは最終的に、その身を犠牲にしてでも地球に帰ることをやりとげようとします。

 WALL-Eは、人とロボットの間に信頼関係と愛を築き上げたのです。WALL-Eもまたナウシカと同様に、人とロボットの間を取り持ち絆を結ぶ存在として描かれているのです。そして愛したものの愛によって死から蘇ることもナウシカと共通しています。

 加えて、そもそも「WALL-E」の物語は、WALL-Eが植物の苗を見つけたことから始まっています。これもまたナウシカ同様に、人々に「次に居住できる場所」を導く存在としても描かれています。

 

 下記に、ナウシカとWALL-Eの共通点を記載します。

  • "異常"な能力(テレパス / モノへの愛着)の獲得により、愛するもの(蟲たち / EVE)への愛情を抱く。
  • 異なる者同士(蟲と人 / ロボットと人)との間に絆を結ぶ。
  • 構築された信頼関係を信じた上で、自分の身を犠牲にして目的を果たす(谷の人を守る / 地球への帰還を果たす)。
  • 愛したもの(王蟲 / EVE)から愛されることによって、死から復活する。
  • 次の移住先(蒼き清浄の地 / 地球)へと導く。

 

 よって、PixarはWALL-E制作にあたり、「劇場版ナウシカ」のこともかなり研究したのだろう、と私は考えています。

5. 「2001年宇宙の旅」からの考察

共通点

 この「WALL-E」という作品は明らかに「2001年宇宙の旅(1968)」も意識しています。以下に重要なシーンにおける共通点を記載します。

  • 無機質な声で話す"赤い一つ目"を持つAIが船を操縦し支配している(HAL9000/ AUTO)。
  • このAIは人間から、本来の指示(乗員と協力して木星を探査せよ/ 植物を見つけたら地球へ帰還せよ)と矛盾する極秘の指令(乗員にモノリスのことを話すな/ 地球へ帰還するな)を受け取っていた。
  • このためAIは適切な行動を選択できなくなり、解決するために結果的に人間に対して危害を加えてしまう(船員の殺害/ 艦長の監禁等)。
  • 人間は、そのAIのスイッチを切ることによってAIの暴走を食い止める。

 「WALL-E」では人間はロボットとそれなりに共存・協力しながら地球に降りることができましたが、「2001年宇宙の旅」では殺し合いとなってしまっています。あくまで「WALL-E」は子供向け......と言いたくなるところではありますが、ここから連想できる点が見えてきます。

他のAxiomたち

 Axiomに関する概要については、「2. 作中の地球と宇宙について振り返り」でも記載しました。

 本来であれば複数のAxiomが地球から飛び立っているにも関わらず、地球に戻ってきたと思しきAxiomは作中の一隻のみです。植物がこれだけ繁茂しているにも関わらず、他のAxiomのEVEが探査に来ている様子も見られません。エンディングまで含めても描かれていません。

 続けようと思えば700年も航行を続けられるシステムが搭載されているAxiomが機能しなくなるとすれば、それは内部から崩壊・破綻してしまった可能性が考慮されます。

 この情報を、「2001年宇宙の旅」の展開と重ねて考慮すると、いくつかの可能性が浮かんできます。

他のAxiomたちの顛末(推測)

 「地球に帰還するな」という極秘命令に従い、未だ宇宙で「地球で植物が見つかった」という事実を秘匿し続けているAUTOがいるかもしれません。あるいは、そもそも植物探査ロボットEVEを地球に派遣していない場合も有りえます。

 「地球に帰還するな」という極秘命令を受け取ったAUTOが、作中のAUTOと同様に、「発見された植物の苗を極秘に消滅させる」という対応を取らなかった可能性があります。もっと過激な方法――例えば、そもそも帰還させる必要のある人類を"処分"する、という場合もありうるでしょう。その場合は、船内における人間の"飼育"を中断すればよいだけで済みます。

 もしくは、「5年経っても地球に帰れない」ことに疑問を持った人間が乗った船で、人間側の反乱などが起きたり、作中のように無理やり地球に戻ろうとした人類が居た可能性もあります。そのような「極秘命令に反する人類」が多数発生した場合.....これもまた、ロボットやAIとの衝突になるでしょう。

 作中のように植物が発見されていたとしても、WALL-Eという「地球と宇宙をつなぐ存在」「人とロボットをつなぐ存在」が不在のままであれば、人とロボットが協力して地球に帰ろうとする、という動きにはつながらなかったと考えられます。

 「WALL-E」という作品において、「人間から矛盾する極秘命令を受け取ったAIが、人間の命綱を握っている」という状況が「2001年宇宙の旅」と重なっていることから、その顛末、つまり「AIが人間を殺してしまうことで解決しようとする」ことの可能性が残り続けるのです。

「汚染レベルが高いため、地球に住むことはできない (rising toxicity levels have made life unsustainable on Earth.)。」

「地球には戻るな(Do not return to Earth)」

 このような説明と指示を受け取っているオートパイロットから見れば、「住むことができない地球に戻ろうとする人類」は、「遅かれ早かれ死亡してしまう」存在に見えることでしょう。そのため、結末が同じならば殺害する......という選択肢を選んだAUTOが居ても不思議ではないと私は考えます。

6. 「HELLO, DOLLY!」と「WALL-E」

 劇中で引用されているミュージカル映画「HELLO, DOLLY!」との関係性については、以下の記事で考察しています。

→(下記終わり次第リンク記載予定)

 

7. エンディング描写について考察

 さて、ここまで「WALL-E」に影響を与えたと思しき作品についての比較と考察を進めてきました。ここで本題の、「WALL-E」のエンディングについての解釈を進めていきたいと思います。

(1)「I DON'T WANT TO SURVIVE! I WANT TO LIVE!」

 ロボットとの絆が結ばれたことによって、無事に地球に戻ってくることができたAxiomとその乗員。彼らはロボットと共に人類史の発展を一からなぞり直しながら、次第に都市を発展させていきます。

 しかしながら、そこには人類史には必須のはずの「飢餓」「貧困」「戦争」はありません。700年もの航海を可能としていたAxiomが稼働したまま、かれはら食糧難に飢えることもなく、住居に困ることもなく、Axiomの傍で生活を続けています。その証に彼らは

  • 食事はAxiomの飲料でまかないつつ、肥満体が維持できるほどの栄養を摂取し
  • 住居は既存の脱出ポッドでしばらく生活をし、
  • 時折農業や漁業、建築業をロボットと共にたしなむ

 という形で描写されています。つまり彼らは、降り立った先の地球上でさえ、「SURVIVE」のために生業をしているのではなく、「LIVE」ためにやっている、と言えてしまいます。よって、

「 I DON'T WANT TO SURVIVE! I WANT TO LIVE!」

と叫んだ艦長の意思はかなったといえるでしょう。

 土から離れて暮らしてきたからこそ、「土と共に生きたい」と願った艦長の言葉によって生まれた生活は、生存のための暮らしではなく、(露悪的に言えば)「趣味としての生活」と言えてしまうかもしれません。

 衣食住に不足すること無く、満ち足りた上で趣味として農業などを嗜む。それはまるで、マリー・アントワネットがプチ・トリアノンに作った農村のようなニュアンスさえ残ります。

(2)「おだやかでかしこい人間」

 「2001年宇宙の旅」からの考察の章で記載したように、ほかのAxiomたちが降り立ってこなかった原因として、人間とロボットとの内乱とそれによる破滅・崩壊があったのではないか、という予想を述べました。

 しかし本作で地球に戻ってきたAxiomは、700年ものあいだ、ロボットと揉めることもなく、ただ怠惰に穏やかに生き続けてきました。いわば作中で描かれたAxiomでは、人間は攻撃性を失い自己家畜化に成功した、と捉えることもできます。

 この、「人が居なくなった地球に改良された人類が降り立って再び文明を発展させる」という観点から考えると、実は原作のナウシカ終盤のストーリーに重なってきます。作中のAxiomの中の人々は、いわば下記画像右下コマでナウシカの言う「凶暴ではなくおだやかでかしこい人間」と言えるでしょう。

漫画版「風の谷のナウシカ」第7巻 211ページより引用

 Pixarの「WALL-E」制作スタッフがどれほど漫画版ナウシカまで研究したのかは不明です。しかし「WALL-E」という作品の結末は、奇しくも、漫画版ナウシカナウシカがたちが破壊した墓所の卵を、破壊せずに孵した状態、に近くなってしまっています。漫画の中でヴ王が「そんなものは人間とは言えん......!」と否定したものを、Pixarは「理想の人類」として描いたのかもしれません。

(3)人類がやり直すには

 地球を汚し、破壊してしまう人類が地球を再び美しい星に戻すには。やり直すには。「WALL-E」で描かれたエンディングを元にそれに対する回答を考えると、以下のようになってしまうと、私は考えます。

  • 人間自体に闘争心がなくなり、自己家畜化が完了する。
  • ロボットと共に生きて人類史をやり直すことにより、奴隷階級(危険な作業を担う)の人間を減らすことができる。
  • 無限に供給される食料が与えられることにより、環境に配慮した農業・漁業ができる
  • 飢えることがなく、闘争心もなく、支配-被支配の構造が人間の間に発生しないため、戦争が起きない。

 .......が、画餅!!!!!!

 いや、子供向け映画になに言ってるんだ、って感じではあるのですが。まさしく宮崎駿が漫画版ナウシカで「そんなものは人間ではない!」と言い切り破壊したそれそのものの世界というか、要は「エデンの園から出ないで済んだらよかったのにね」みたいななんかそういう話になってませんか?

 旧約聖書的には「エデンの園から追い出されたら肉体労働によって収穫を得る=農業をしなきゃいけない」ので、そういう意味ではAxiomから出て農業をしているのはむしろ自主的な失楽園ともいえるのですが、彼らはAxiom≒エデンの園にいつでも戻れる状態である以上、厳密な失楽園の状態とも言えません。

 というかこの回答だと地球上で現時点でsurviveのために生業をして生きている人間の全否定と言いますか、完全な理想状態じゃないと無理だよねー、という逆にすごい皮肉なのかもうわからないのですが、いやこれそういう皮肉なのかな?所詮人間には無理っていう諦めなの?

 ......取り乱しました。

 この点については私自身はっきりとした答えは出せていないのですが、おそらくは、2つのパターンが考えられると思っています。

  • あくまで子どもたち向け→子どもたちには希望に溢れた未来を思っていてほしい→そう思って作ってみた結果、事実上無理という結果をオブラートに包んで突きつけることになっている。
  • 「まあぶっちゃけ無理だよね」という諦観を逆に「ありえないほど明るい未来」として描いている。

 どっちなんでしょう......。私にはわかりません。ただ、「ラピュタ」「ナウシカ」や「もののけ姫」を生み出した宮崎駿とは違う回答を出したいという思いがあったのかな、というのは感じます。それが実現可能な回答かどうかは置いといて.....(表裏一体で結局同じこと言ってしまっているのではという気もします)。

 

 少なくとも、下記のような人間観とは異なったところに人間としてのゴールを置いてしまっている、とも思います。

漫画版「風の谷のナウシカ」第7巻 200ページより引用

8. パクリ?オマージュ?ラブレター?

 私自身は、「WALL-E(2008)」という作品を、「天空の城ラピュタ(1986)」や「風の谷のナウシカ(1984)」のパクリだとは思っていません。この作品中における「2001年宇宙の旅(1968)」「HELLO, DOLLY!(1969)」への態度と同様だと考えています。

 Pixarジブリと提携していることから、ジブリ作品を研究していた、もしくはそこに感銘を受けて作った宮崎駿へのラブレター的な作品と考えています。

 ラピュタナウシカと同じ問いを用意した場合に、Pixarなりの答えの出し方をしたのが「WALL-E(2008)」なのでは、と考えています。

(その出した答えに対する是非は、私は保留しておきます)

 

 私個人としては、Pixarが作り出したWALL-EやEVE、M-O、AUTOというキャラクターたちは、皆素直で一生懸命で愛おしいと思っています。それにストーリーも描写も、子供と一緒に見ていてとても楽しいと思える作品です。

 ただしこの作品を元に、人間としてどう考えるべきかについては......ゆっくり考えていきたいと思います。